東京に来て一年が経ちました 【5月編】
どうぶつの森やってますか?
今作も楽しいですよね、一生やってます。
そのおかげで、全く書けていませんでした。
リアルどうぶつの森も死ぬまで一生プレイですからね、今日も人生始めましょう。
それでは、ゲームスタート。
5月 【五月病】
確実に重症だった。
何人か腕利きの医者を紹介して欲しかった。
五月病。
空前絶後のGW10連休を終えた私は、完全にその重症患者となっていた。
5月7日、連休明けの出社の足取りがこんなに重いとは思わなかった。朝、天気が無駄に良かったのを覚えているし、自分の心は露知らず、といった具合の天気の良さに苛立っていたことも同時に覚えている。
「まさか、自分が。」
これは正直な感想である。
そして、紛れもない、これが五月病の1番の原因だった。
単なる、「会社に行きたくない、仕事したくない」ではなかった。
現実と理想のギャップ。
これが、原因だった。
というのも、私は幾つもの理想を思い描いていた。
•自分だったら何だかんだ仕事ができる
•仕事は楽しくて熱中できるもの
•周りの優秀な同期には負けない
•五月病?そんなものかかるわけない
現実は違った。
全て打ち砕かれた。
その思い描いていた理想と目の前の現実とのギャップにやられてしまった。
このギャップこそが、人間を精神的病気に陥らせる。
だが、このギャップを埋めるために人間は努力をするのである。そして、その差を少しでも縮めて前に進む行為を社会は、『成長』と呼ぶ。
この行為を続けられる者が、所謂、社会的な『成功』をおさめることができるのだろう。
できない者は、ただ落ちていく。
『成長』や『成功』は、資本主義経済で生まれるワードであると考える。
少し話が逸れたので、元に戻すが、今の自分ならこのようなことも理解できるのだが、何せまだ社会人1ヶ月目。
右も左も分からない中で、そのような状況に陥ることは無理もなかった。(と、言わせて欲しい)
そして、そもそもそのギャップというのは、理想と現実という自意識の中で起こったことだけではなかった。
社風、同期、先輩。
全てが、合っていなかった。大外れも大外れ。
自分とは『真逆』の人間が作る環境。水が合うはずもない。
キラキラした同期。
五月病の「ご」の字も知らないような顔で、輝いた目つきで仕事に取り組む同期。
仕事は、とにかく電話して、電話する。
何度も何度も断られる。人に「要らない」と否定される感覚。
「辞めたい」
挫折。
何度目か分からない。
思えば、「自分はもう挫折ばかりの人生なんだ」、なんて自暴自棄になっていた。
小さな頃から泣き虫で、得意なことも無くて、中学では友達が出来なかったし、高校では暴力を受けてイジメられたし、大学ではこれまでの自分との差に「本当の自分」が分からなくなって。そして、将来の進路について迷いに迷い、超ギリギリで苦労して入ったこの会社も、いや、社会自体が合わない。
社会不適合者。
自分はこの世界で生きていけないんだ。
落ちるところまで気持ちが落ちていた中で迎えた週末。
気怠い土曜日の朝。塞がった心。
少しでも明るく、なんてポジティブを持っていれば良かったが、そんなものは持ち合わせておらず、ただなんとなく、力なくカーテンを開けた。
射し込んでくる太陽の光。
いつもは日当たりが悪い角部屋も、こんなときに限って励ましてくる。
燦々と輝く5月の太陽に目を細めながら、窓を開けて
壁にもたれた。
おもむろに、スマホのプレイリストの再生ボタンを押す。
健康な体があればいい 大人になって願うこと
心は強くならないまま 耐えきれない夜が多くなった
BUMP OF CHICKEN の『HAPPY』。
ここ最近は、ずっと聴いてなかった大切な曲だった。
泣いた。声を上げて泣いた。
そうだ、そうだよな、と。
辛くて悲しくて苦しいけど、それでも生きていかなくちゃいけないよな。
これまでの人生で、何度となくBUMPに救われてきたのか。また、助けられてしまった。
高校生の頃までは、四六時中BUMPを聴いていた。
ずっと聴いてなかったのは、大学時代にBUMP以外の音楽にも出会い、聴く機会が単純に減っていた。
勿論、BUMPは私の中での一生愛しているアーティストで、世界で一番好きな人たちだ、これまでも、これからも。
その日の夜、ノートに『HAPPY』の歌詞を全部書き写した。
続きを進む恐怖の途中
続きがくれる勇気にも出会う
無くした後に残された愛しい空っぽを抱きしめて
消えない悲しみがあるなら
生き続ける意味だってあるだろう
どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう
月曜日。
目が覚めて、自らの意志でカーテンを開けた。
今日も無駄に天気が良い。
先週明けのあの日よりも、太陽が頭上で燦々と輝いていた。