隙間のホコリ

リリシズム、エモーショナリズム、ネガティブ。

東京に来て一年が経ちました 【4月編】

いつもありがとうございます。 

こちら、4月編です。

 

4月編は、4月1日の入社式とそこから始まる研修について、振り返りができればと思います。

 

少し長いですが、暇つぶしに読んでいただけると幸いです。

 

4月 【新人アウトロー

その生き物は、明らかに緊張していた。

解けないようにキツく縛ったのは靴紐だけではなかったのかもしれない。

 

入社式。

自分よりも遥かに優秀そうな人間が一堂に集まっている。

 

ライオンの群れの中に放り込まれた一匹の子猫のようだった。

 

そもそも、だ。

就職活動に困難した私は、この企業に入社するまでの一般ルートを通っていない。

迷走に迷走を重ねて出した結論が、「とにかく、社会に出て生活するための企業勤め」を選択した私だ。

 

この企業の理念や考え方も知らないし、何をして利益を上げているのか、社会に役立っているのか、すら知らなかった。

 

ビジネスマン失格の烙印を押してもらっても構わない。甘んじて受け入れる。

 

そこそこ有名な大手の会社ということもあり、同期も200人は超えていただろう。

 

入社式が始まると、目の前で会長、社長らしき人物が挨拶を始める。

 

ああ、愚かな人間。これから働く企業の会長、社長の顔も名前も知らないとは。

 

改めて考えるととんでもないことをやらかしている。

 

入社式が終わると、研修が始まる。

すでに、同期同士での楽しそうなやり取りが行われていた。

 

内定式や入社前の研修ですでに関係性ができていたのだろう。

 

この同期、というのが超イケイケドンドン集団だった。私が苦手とする人種。Music FMでWANIMAとか聴いて、インスタのストーリーを更新しまくって、何かあればすぐにスタバに行く、声がデカイだけで中身ないヤツの集まり。偏見まみれの色眼鏡をかけている私には、そう映っていた。(今では仲良くしてもらってます、ごめんなさい)

 

そんな盛り上がる同期集団を横目に、肩をすぼめてスマホを眺める。見慣れない漢字2文字が流れる。

 

「令和」

 

元号発表の日でもあった。

 

まるで教室の隅に追いやられたぼっち学生のような感覚、これから始まる真っ暗闇の生活に絶望していた。

 

そんな中、私は運命的な再会をする。

 

それは今でも一番仲良くしてもらっている同期のTだ。(同期、と書くのも憚られる。もはや、友達)

 

 

孤独は孤独で慣れっこ、大歓迎であった。別に、「馴れ合うつもりで会社に来ている訳じゃない」、と強がっていた。(今思えばダサ過ぎるプライド)

 

しかし、この同期Tとの再会がなければ、この1年間どうなっていたか想像できない。

 

このTは、この1年間を振り返る上で欠かせない人物なので、少し話は逸れるが記載させてほしい。

 

再会、と表現したが、このTとは以前とある場所で出会っていた。

 

内定式。といっても、一般ルートを歩んできた就活生が参加する10月に行われる内定式ではない。

 

実は、10月の内定式に参加していない内定者限定で行われた第二次内定式なるものが、11月に開催されていた。

 

何故、私が10月の内定式に参加していないか、というと、当時頻繁に台風が日本列島を襲っており、その影響もあって、私は内定式に参加できなかった。

(正確に言うと、行こうと思えば行けたが台風の中、前乗りして「内定式」如きで東京に行くのが面倒だった)

 

そのTも同じような事情で、参加しておらず、大阪で行われた11月の第二次内定式で出会うことになる。

 

出会いも出会いで語りたいエピソードが山ほどあるのだが、長くなるので割愛させていただく。

 

その第二次内定式で、唯一といっていいほどフィーリングがバッチリ合った人間がT。

 

とにかく、ぶっ飛んだ人間なのだが、本当に馬が合う。言葉では表現できないが、出会うべくして出会ったと言っても過言ではない。

 

それはお互いに感じていることだった。

 

そんなTと200人を超える人混みの中、再会を果たした。

「おお、あの時の!!来たな、コレ!!」

 

「来たな、コレ」というのは、Tがよく使うフレーズである。

 

前言撤回、真っ暗闇の中に一縷の希望。

孤独を埋めるために、自分を偽ってイケイケ集団に合わせるという選択肢のカードを捨てた。

 

研修が始まった。

私は営業としての配属だった。求人広告の営業。

仕事内容は、簡単に言うと採用を考えている企業に求人広告を提案し、採用のお手伝いをするというもの。

 

新卒で利用したであろう、リ○ナビ20〇〇を想像してもらえると分かりやすいだろうか。

 

そちらの中途採用バージョン、つまるところ、転職のナビ。

 

具体的な研修内容は、伏せさせていただく。というよりもすでに忘却の彼方であるのが正しい。ビジネスマナー、仕事内容、取り扱う商材、営業とは、などといった基礎的なものだったはず。

 

覚えているのはただ一つ、私は研修担当の方に「アウトロー」というあだ名で呼ばれていたこと。

 

特に、アウトローと呼ばれるようなことをした覚えはない。

 

ただ、希望いっぱいキラキラ集団の中では間違いなく異質な存在だっただろう。少しでも触られたら斬る、とでも言わんばかりの殺気を放っていた。この集団に迎合したら、「自分が死ぬ」、とでも思っていたのだろうか。その程度で死んでしまう自分なら、斬り捨ててしまえばいいのに。そんな過剰な自意識と向き合うことになるのは、数ヶ月後の話である。

 

2週間程度の短い研修を終えて、現場に配属された。

 

初めの1週間は、先輩の商談に同行して、学ぶというものだった。

 

商談、というものを経験したことがなかった私であったが、「社長や担当者と採用の話をするんだ」という程度の感想しか抱かなかった。

 

そして、先輩同行週間が終わり、GW10連休まで残り1週間となった4月最終週間。

 

地獄を垣間見ることになる。

 

その地獄の名は、テレアポ地獄。

 

営業配属された新入社員としての登竜門である。

 

「はい、アポイントを取ってください」といきなり、言われた時の新入社員達の顔は青ざめていただろう。

 

それもそのはず、電話のトークも、かける先も、何なら電話をかけるという作業すら、ままならない状態。

 

手探りの中、架電が始まった。人生において、初めての「営業活動」。会社名を背負い、仕事をする。

 

 

1日100社に架電。

 

新人のたどたどしい電話トークでは、アポイントどころか、まともに取り合ってもらえない。

 

そもそもテレアポ、企業にアポイントを取るまでに幾つかのフェーズがある。

 

①電話をかける

②受付に繋がる

③受付に用件を伝え、担当者に代わってもらう

④担当者に用件を伝える

⑤アポイント取得

 

テレアポで1番難しいとされているのが、③のフェーズである。

 

企業に電話をかけると、大抵電話を取るのは受付(事務)の方だったりする。(担当者とは無関係)

 

基本的に、受付の方は何があっても断るスタンスでいる。

 

というのも、当然ではあるが、企業には一日中色んな営業電話がかかってくる。採用関係を始め、印刷機、ホームページ作成、などなど。

 

全てに対応していたら、キリがないため、どの企業の受付の方も基本的に断る。

 

この③のフェーズを超えることを、「受付突破」などと呼んだりする。これをしないことには、どんなスーパー営業マンでも、モノが売れない。

 

普通に冷たく断られるので、メンタルがやられる。

「必要ないです」「担当者不在です」

新人からすると、①ですら緊張するのに、③のフェーズを超えることは、サッカー未経験者がハットトリックを決めるぐらい難しい。

 

それでも何だかんだテレアポを繰り返していく日々の中で、PDCAを回し続け、1件だけ運良くアポイントを取得できた。

 

余談ではあるが、初めてアポイントを頂いた企業とのエピソードがあるので、また次編で語る。

 

この1週間は、初めてのテレアポなどで大変であったが不思議と「キツイ」とか「辞めたい」という感情は生まれなかった。(テレアポの必要性の有無なども次編以降で記載したい)

 

ただただ目の前の仕事についていく、というのに必死だった。考えるとか、感情がどうこうではなく、とにかく上から降ってくるものに自分の持てるキャパで対応していくだけ。

 

入社式、研修、そして、現場配属から初めての営業活動を経験した私は、GW10連休を迎えることになる。

 

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(未来都市トーキョー)