隙間のホコリ

リリシズム、エモーショナリズム、ネガティブ。

東京に来て一年が経ちました 【6月編】

3月初めから時差出勤、そして先週からのテレワークのおかげで、夜更かしカマしまくっている人間です。

(ダメビジネスマン)

 

6月編なんですけど、6月は唯一と言っていい程、本当に印象に無い月なんですよね。

 

それでも、人生初の飛び込み営業だったり、人生初の契約があったり、ちょこちょこと何かしらあった気がするんで、記憶を遡っていきます。

 

6月 【カタツムリ】

ずっと雨が降っていたのを覚えている。

太陽がこの世界から消えたみたいだった。

 

神様が悪戯でどこかに隠してたりするのかな、なんて想像するけど、そもそも神様と太陽ってどちらが大きいんだろう、とか、実は一緒なんじゃない?とか、そういうしょうもない疑問が無限に湧いてくるのが私の脳内。

 

さて、6月のトピックス。

•人生初!!飛び込み営業の巻(一巻)

•人生初!!受注(契約)の巻(二巻)

の2巻でお送り致します。

 

さて、まず飛び込み営業の巻。

 

これは、6月のグループ方針として、とにかくクォンティティーを追う、というもので、言い換えれば、商談件数(アポ件数)を重ねまくれ、というもの。

 

営業は、新人であってもその日その日のアポ目標を決めて、それを1日で追わなければならない。

 

例えば、「今日はアポ2件で取ります」、と宣言するとそれを達成するために、ひたすらアポ取得のために電話をする。ショート、つまり未達していれば、平気で18時以降、つまり定時以降も電話をする。

 

もちろん、18時以降に企業に営業電話をすると普通に怒られる。私も未達が故に、20時とかに電話をして、こっぴどく怒られたのは苦い思い出だ。

(マジで良心が痛むので嫌でした、だって普通に考えると迷惑ですよね)

 

※ただ、18時以降は電話担当の受付事務の方が帰っていることも多く、ストレートで社長に繋がることもあったりするので、ワンチャンあるのだ。

 

営業ごとに一年分の「営業リスト」が渡されている。つまり、「あなたの一年分の守備範囲はここからここまでですよ」というもの。

そのリストと一年間、戦っていかなければならない。

 

当然、アポを撮り続けているとリストが枯渇してくる。断られる企業が増えてくる。

 

そこで、打開策として「飛び込み営業」だ。

 

うーん、泥臭い。まさに体育会系。ザ•営業。

 

飛び込み営業をして、担当者(社長)と名刺交換できたら、それはその日のアポ件数に入るのだ。

 

飛び込み営業とは、読んで字の如く、約束なしでそのままインターホンを鳴らす営業スタイル。これも殆どの確率で断られるので、超効率が悪い。

 

そして、もちろん営業は日々、電話だけをしているのではない。

 

自らが取ったアポの商談が入っている。日に1〜3件はこなす。

 

その商談の合間に、飛び込み営業に行くのが定石。

その日商談した企業の近くのビルだとかに、その足で行くのだ。

 

私も人生初の飛び込み営業をした。

 

アポイントなし。

ほぼ断られる。

しかも、電話越しの断り、ではない。対面での断り。割と、緊張する。というか、インターホンの前で心臓が爆発しそうな勢いだった。もはや、この音はインターホンの向こう側に聞こえているのではないだろうか。

 

結果は、担当者と名刺交換ができた。

 

意外にもスムーズにいったので、なんだか呆気なかった。こんなもんか、という感想。

 

そうだ、仕事は意外と「こんなもんか」で溢れている。

 

できれば、やりたくないが。

 

 

二巻目。

 

私は人生初の受注(契約)をすることができた。

 

といっても、ほとんど上司の力が大きい。

主導権を持って商談を進めたのは上司だったので、この受注は上司のものだ、という感覚に陥った。

あまりにも、あっさりしていた。爪楊枝が、ポキッと折れるような。

 

それでも、自分のお客さんだし、企業はウチに期待して何十万円という金額のお金を払っているし、これで誰かの人生が左右されるかもしれない、と考えると、重い。

 

爪楊枝どころではない。

 

それでも、人生初受注も「こんなもんか」だったのだ。

 

もっと感慨深いものなのではないのか、とか、これは本気で仕事に取り組んでいない証拠なのでは、とか、思ったりした。

 

様々な感情が渦巻く。

喜ばしいことなのだから、嬉しいのは嬉しいし、でも、自分の力ではないし、でもそれは烏滸がましいし、上司の力を借りずに受注できるのか不安だな、とグルグルと回る。

 

人生初受注の日はちょうど雨上がりで、少し空に曇りがかってはいたものの、久しぶりの晴れ間が見えた1日だった。

 

足元に目をやると、カタツムリがいた。

 

この渦巻柄を背負っているカタツムリも、様々な感情を背負っているのだろうか。

 

だから、こんなにもノロいのか。

 

それとも、実は「こんなもんか」なんて気軽に思っているのだろうか。

 

改めて振り返ってみると、6月はこんなもんか。

 

 

東京に来て一年が経ちました 【5月編】

どうぶつの森やってますか?

今作も楽しいですよね、一生やってます。

そのおかげで、全く書けていませんでした。

 

リアルどうぶつの森も死ぬまで一生プレイですからね、今日も人生始めましょう。

 

それでは、ゲームスタート。

 

5月 【五月病

確実に重症だった。

何人か腕利きの医者を紹介して欲しかった。

 

五月病

 

空前絶後のGW10連休を終えた私は、完全にその重症患者となっていた。

 

5月7日、連休明けの出社の足取りがこんなに重いとは思わなかった。朝、天気が無駄に良かったのを覚えているし、自分の心は露知らず、といった具合の天気の良さに苛立っていたことも同時に覚えている。

 

「まさか、自分が。」

 

これは正直な感想である。

そして、紛れもない、これが五月病の1番の原因だった。

 

単なる、「会社に行きたくない、仕事したくない」ではなかった。

 

現実と理想のギャップ。

 

これが、原因だった。

 

というのも、私は幾つもの理想を思い描いていた。

 

•自分だったら何だかんだ仕事ができる

•仕事は楽しくて熱中できるもの

•周りの優秀な同期には負けない

五月病?そんなものかかるわけない

 

現実は違った。

 

全て打ち砕かれた。

 

その思い描いていた理想と目の前の現実とのギャップにやられてしまった。

 

このギャップこそが、人間を精神的病気に陥らせる。

 

だが、このギャップを埋めるために人間は努力をするのである。そして、その差を少しでも縮めて前に進む行為を社会は、『成長』と呼ぶ。

 

この行為を続けられる者が、所謂、社会的な『成功』をおさめることができるのだろう。

できない者は、ただ落ちていく。

 

『成長』や『成功』は、資本主義経済で生まれるワードであると考える。

 

少し話が逸れたので、元に戻すが、今の自分ならこのようなことも理解できるのだが、何せまだ社会人1ヶ月目。

 

右も左も分からない中で、そのような状況に陥ることは無理もなかった。(と、言わせて欲しい)

 

そして、そもそもそのギャップというのは、理想と現実という自意識の中で起こったことだけではなかった。

 

社風、同期、先輩。

 

全てが、合っていなかった。大外れも大外れ。

自分とは『真逆』の人間が作る環境。水が合うはずもない。

 

キラキラした同期。

五月病の「ご」の字も知らないような顔で、輝いた目つきで仕事に取り組む同期。

 

仕事は、とにかく電話して、電話する。

何度も何度も断られる。人に「要らない」と否定される感覚。

 

「辞めたい」

 

挫折。

何度目か分からない。

 

思えば、「自分はもう挫折ばかりの人生なんだ」、なんて自暴自棄になっていた。

 

小さな頃から泣き虫で、得意なことも無くて、中学では友達が出来なかったし、高校では暴力を受けてイジメられたし、大学ではこれまでの自分との差に「本当の自分」が分からなくなって。そして、将来の進路について迷いに迷い、超ギリギリで苦労して入ったこの会社も、いや、社会自体が合わない。

 

社会不適合者。

 

自分はこの世界で生きていけないんだ。

 

落ちるところまで気持ちが落ちていた中で迎えた週末。

 

気怠い土曜日の朝。塞がった心。

少しでも明るく、なんてポジティブを持っていれば良かったが、そんなものは持ち合わせておらず、ただなんとなく、力なくカーテンを開けた。

 

射し込んでくる太陽の光。

いつもは日当たりが悪い角部屋も、こんなときに限って励ましてくる。

 

燦々と輝く5月の太陽に目を細めながら、窓を開けて

壁にもたれた。

 

おもむろに、スマホのプレイリストの再生ボタンを押す。

 

健康な体があればいい 大人になって願うこと

心は強くならないまま 耐えきれない夜が多くなった

 

BUMP OF CHICKEN の『HAPPY』。

 

ここ最近は、ずっと聴いてなかった大切な曲だった。

 

泣いた。声を上げて泣いた。

そうだ、そうだよな、と。

 

辛くて悲しくて苦しいけど、それでも生きていかなくちゃいけないよな。

 

これまでの人生で、何度となくBUMPに救われてきたのか。また、助けられてしまった。

 

高校生の頃までは、四六時中BUMPを聴いていた。

 

ずっと聴いてなかったのは、大学時代にBUMP以外の音楽にも出会い、聴く機会が単純に減っていた。

 

勿論、BUMPは私の中での一生愛しているアーティストで、世界で一番好きな人たちだ、これまでも、これからも。

 

その日の夜、ノートに『HAPPY』の歌詞を全部書き写した。

 

続きを進む恐怖の途中 

続きがくれる勇気にも出会う
無くした後に残された 

愛しい空っぽを抱きしめて

消えない悲しみがあるなら 

生き続ける意味だってあるだろう
どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう

 

月曜日。

目が覚めて、自らの意志でカーテンを開けた。

 

今日も無駄に天気が良い。

先週明けのあの日よりも、太陽が頭上で燦々と輝いていた。

 

 

 

東京に来て一年が経ちました 【4月編】

いつもありがとうございます。 

こちら、4月編です。

 

4月編は、4月1日の入社式とそこから始まる研修について、振り返りができればと思います。

 

少し長いですが、暇つぶしに読んでいただけると幸いです。

 

4月 【新人アウトロー

その生き物は、明らかに緊張していた。

解けないようにキツく縛ったのは靴紐だけではなかったのかもしれない。

 

入社式。

自分よりも遥かに優秀そうな人間が一堂に集まっている。

 

ライオンの群れの中に放り込まれた一匹の子猫のようだった。

 

そもそも、だ。

就職活動に困難した私は、この企業に入社するまでの一般ルートを通っていない。

迷走に迷走を重ねて出した結論が、「とにかく、社会に出て生活するための企業勤め」を選択した私だ。

 

この企業の理念や考え方も知らないし、何をして利益を上げているのか、社会に役立っているのか、すら知らなかった。

 

ビジネスマン失格の烙印を押してもらっても構わない。甘んじて受け入れる。

 

そこそこ有名な大手の会社ということもあり、同期も200人は超えていただろう。

 

入社式が始まると、目の前で会長、社長らしき人物が挨拶を始める。

 

ああ、愚かな人間。これから働く企業の会長、社長の顔も名前も知らないとは。

 

改めて考えるととんでもないことをやらかしている。

 

入社式が終わると、研修が始まる。

すでに、同期同士での楽しそうなやり取りが行われていた。

 

内定式や入社前の研修ですでに関係性ができていたのだろう。

 

この同期、というのが超イケイケドンドン集団だった。私が苦手とする人種。Music FMでWANIMAとか聴いて、インスタのストーリーを更新しまくって、何かあればすぐにスタバに行く、声がデカイだけで中身ないヤツの集まり。偏見まみれの色眼鏡をかけている私には、そう映っていた。(今では仲良くしてもらってます、ごめんなさい)

 

そんな盛り上がる同期集団を横目に、肩をすぼめてスマホを眺める。見慣れない漢字2文字が流れる。

 

「令和」

 

元号発表の日でもあった。

 

まるで教室の隅に追いやられたぼっち学生のような感覚、これから始まる真っ暗闇の生活に絶望していた。

 

そんな中、私は運命的な再会をする。

 

それは今でも一番仲良くしてもらっている同期のTだ。(同期、と書くのも憚られる。もはや、友達)

 

 

孤独は孤独で慣れっこ、大歓迎であった。別に、「馴れ合うつもりで会社に来ている訳じゃない」、と強がっていた。(今思えばダサ過ぎるプライド)

 

しかし、この同期Tとの再会がなければ、この1年間どうなっていたか想像できない。

 

このTは、この1年間を振り返る上で欠かせない人物なので、少し話は逸れるが記載させてほしい。

 

再会、と表現したが、このTとは以前とある場所で出会っていた。

 

内定式。といっても、一般ルートを歩んできた就活生が参加する10月に行われる内定式ではない。

 

実は、10月の内定式に参加していない内定者限定で行われた第二次内定式なるものが、11月に開催されていた。

 

何故、私が10月の内定式に参加していないか、というと、当時頻繁に台風が日本列島を襲っており、その影響もあって、私は内定式に参加できなかった。

(正確に言うと、行こうと思えば行けたが台風の中、前乗りして「内定式」如きで東京に行くのが面倒だった)

 

そのTも同じような事情で、参加しておらず、大阪で行われた11月の第二次内定式で出会うことになる。

 

出会いも出会いで語りたいエピソードが山ほどあるのだが、長くなるので割愛させていただく。

 

その第二次内定式で、唯一といっていいほどフィーリングがバッチリ合った人間がT。

 

とにかく、ぶっ飛んだ人間なのだが、本当に馬が合う。言葉では表現できないが、出会うべくして出会ったと言っても過言ではない。

 

それはお互いに感じていることだった。

 

そんなTと200人を超える人混みの中、再会を果たした。

「おお、あの時の!!来たな、コレ!!」

 

「来たな、コレ」というのは、Tがよく使うフレーズである。

 

前言撤回、真っ暗闇の中に一縷の希望。

孤独を埋めるために、自分を偽ってイケイケ集団に合わせるという選択肢のカードを捨てた。

 

研修が始まった。

私は営業としての配属だった。求人広告の営業。

仕事内容は、簡単に言うと採用を考えている企業に求人広告を提案し、採用のお手伝いをするというもの。

 

新卒で利用したであろう、リ○ナビ20〇〇を想像してもらえると分かりやすいだろうか。

 

そちらの中途採用バージョン、つまるところ、転職のナビ。

 

具体的な研修内容は、伏せさせていただく。というよりもすでに忘却の彼方であるのが正しい。ビジネスマナー、仕事内容、取り扱う商材、営業とは、などといった基礎的なものだったはず。

 

覚えているのはただ一つ、私は研修担当の方に「アウトロー」というあだ名で呼ばれていたこと。

 

特に、アウトローと呼ばれるようなことをした覚えはない。

 

ただ、希望いっぱいキラキラ集団の中では間違いなく異質な存在だっただろう。少しでも触られたら斬る、とでも言わんばかりの殺気を放っていた。この集団に迎合したら、「自分が死ぬ」、とでも思っていたのだろうか。その程度で死んでしまう自分なら、斬り捨ててしまえばいいのに。そんな過剰な自意識と向き合うことになるのは、数ヶ月後の話である。

 

2週間程度の短い研修を終えて、現場に配属された。

 

初めの1週間は、先輩の商談に同行して、学ぶというものだった。

 

商談、というものを経験したことがなかった私であったが、「社長や担当者と採用の話をするんだ」という程度の感想しか抱かなかった。

 

そして、先輩同行週間が終わり、GW10連休まで残り1週間となった4月最終週間。

 

地獄を垣間見ることになる。

 

その地獄の名は、テレアポ地獄。

 

営業配属された新入社員としての登竜門である。

 

「はい、アポイントを取ってください」といきなり、言われた時の新入社員達の顔は青ざめていただろう。

 

それもそのはず、電話のトークも、かける先も、何なら電話をかけるという作業すら、ままならない状態。

 

手探りの中、架電が始まった。人生において、初めての「営業活動」。会社名を背負い、仕事をする。

 

 

1日100社に架電。

 

新人のたどたどしい電話トークでは、アポイントどころか、まともに取り合ってもらえない。

 

そもそもテレアポ、企業にアポイントを取るまでに幾つかのフェーズがある。

 

①電話をかける

②受付に繋がる

③受付に用件を伝え、担当者に代わってもらう

④担当者に用件を伝える

⑤アポイント取得

 

テレアポで1番難しいとされているのが、③のフェーズである。

 

企業に電話をかけると、大抵電話を取るのは受付(事務)の方だったりする。(担当者とは無関係)

 

基本的に、受付の方は何があっても断るスタンスでいる。

 

というのも、当然ではあるが、企業には一日中色んな営業電話がかかってくる。採用関係を始め、印刷機、ホームページ作成、などなど。

 

全てに対応していたら、キリがないため、どの企業の受付の方も基本的に断る。

 

この③のフェーズを超えることを、「受付突破」などと呼んだりする。これをしないことには、どんなスーパー営業マンでも、モノが売れない。

 

普通に冷たく断られるので、メンタルがやられる。

「必要ないです」「担当者不在です」

新人からすると、①ですら緊張するのに、③のフェーズを超えることは、サッカー未経験者がハットトリックを決めるぐらい難しい。

 

それでも何だかんだテレアポを繰り返していく日々の中で、PDCAを回し続け、1件だけ運良くアポイントを取得できた。

 

余談ではあるが、初めてアポイントを頂いた企業とのエピソードがあるので、また次編で語る。

 

この1週間は、初めてのテレアポなどで大変であったが不思議と「キツイ」とか「辞めたい」という感情は生まれなかった。(テレアポの必要性の有無なども次編以降で記載したい)

 

ただただ目の前の仕事についていく、というのに必死だった。考えるとか、感情がどうこうではなく、とにかく上から降ってくるものに自分の持てるキャパで対応していくだけ。

 

入社式、研修、そして、現場配属から初めての営業活動を経験した私は、GW10連休を迎えることになる。

 

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(未来都市トーキョー)

東京に来て一年が経ちました 【3月編】

東京に来て、一年が経った。

 

この一年間、月並みの表現になるが、本当に一瞬だった。上京してきた日から季節が4回も変わったことは、未だに信じられない。

 

乗車前、とてつもない恐怖を感じていたジェットコースターに乗ってしまえば一瞬で終わってしまう、あの感覚に近い。 

 

というか、本当にジェットコースターに乗っていたのかもしれない。

 

未だ乗車中のジェットコースターの終着点は誰も知る由がないが、一年が経ったということで、ここで少し東京での一年間を振り返っておく。

 

月ごとに振り返るのが、脳に取り付けられている記憶装置にとって最も負荷が掛からないので、昨年の3月から今この瞬間の3月まで順に記憶を辿っていくことにする。  

 

3月 【ベタ過ぎる別れ】

春の朝焼けが眩しい東京駅が目に焼き付いている。

その目は、真っ赤に晴れていた。

というのも、あまりにもベタ過ぎる別れを告げてきたからだ。

 

卒業式を終えたその日に夜行バスで上京を決めた当時の自分は、最後にベタ過ぎる展開を望んだ。

 

夜行バスに乗り込む自分に手を振る大好きな仲間たち。サークル、バイト、出会いはそれぞれだが、かけがえのない大切な人たち。

 

そんな彼ら•彼女らに、優しく見送って欲しかった。

「また会おう」「お元気で」「会いに行くよ」と。

 

『上京』が、心細くて、寂しくて仕方無かった。

これから続く、孤独な生活への最後の抵抗。

 

涙は溢れて止まることを露知らず、夜行バスの車内で情けなくも声を上げて泣いた。

 

何度も手を振った。「ありがとう」と、窓越しに何度も口を動かした。

 

我ながら、ベタ過ぎるか。

昔の自分だったら、そういうのを辟易していただろう。一人で出発して、今日まで後悔している。そんな未来が見える。

 

交通手段として、夜行バスを選んだのも、

東京までの距離を少しでも物理的に感じたかったからである。何せ、1000キロも離れた場所。

そして、今後夜行バスに乗ることも無くなるだろうということでのチョイス。

 

胃もたれするぐらい、ベタな別れを仲間と街にした私は東京駅に到着した。

 

これから始まる、新生活、そして、未知の「社会」というものに期待と不安、アンビバレンスな感情を抱き、深呼吸した。

 

空気が不味い、という東京の噂は嘘なのかもしれない。

 

東京メトロ丸ノ内線の電車に乗り、これから住む街に向かった。これからこの赤い『M』がシンボルの電車に毎朝揺られるなんて、まだ想像することが出来なかった。

 

新居のドアを開けると、何もない部屋が待ち構えていた。

 

それから1週間程は、引っ越しの準備に追われた。

なんせ、一人で全てをやるもんだから、それはもう大変だった。

 

だいぶ、自分の部屋と呼べるようになった頃に、先に東京で頑張っているサークルの先輩方にお花見に誘われた。

 

その日は、3月最後の日。同時に、モラトリアム最後の日でもある。

 

大学時代の思い出話に花を咲かせ、花見をした。

 

美しい桜を見ることはできたが、人混みの多さに衝撃を受けた。花見a.k.a.人見。  

 

明日から始まる生活の不安が増大した出来事でもあった。

その日の夜は、なかなか眠れなかった。

明日の朝には、スーツを着て、ネクタイを締めて、満員電車に揺られている。

 

ただ漠然とした憧れで選んだ街に、ひたすら怯えていたモラトリアム最終日だった。

 

 

と、昨年3月の記憶を出来るだけ凝縮してここまで書いたが、あまりにも長くなりそうなので、一旦、月ごとに振り返ることにする。

 

3月、1週間程度しかなかった筈なのに。

 

次回、4月編。

 

今週中には、今月までの話を書きたいところではあるが、果たして間に合うだろうか。

 

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(お花見したときの桜、美味しそう。)

 

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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。これを読んでくださっている方は、私のTwitterのどうでもいいウケ狙いのツイートや、YouTubeのよく分からない動画も見てくださっている方だと、勝手に思っています。いつも、私のの自己主張を受け取ってくださり、ありがとうございます。これからもよく分からない独り言を垂れ流していきますが、お付き合いいただけると幸いです。

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Jupiter

台風が過ぎたというのに、また雨が降っている。

 

歓喜だとか、苦しみとかもこんな風に繰り返していくんだろうな。

 

この3日間、殆ど電気をつけない生活をしていた。ずっと夜だった気がする。だから、明日が怖い。


社会が自分を削っているのか、自意識で自分を削っているのか。

 

夕方、外に出た。

  

いつかコンビニで買った何本目かも分からない透明なビニール傘を片手に。

 

2日ぶりの外界。


知らない住宅街を歩く。

 

懐かしい金木犀の香り。

 

突如出会った、その小さな美しい花にノスタルジックな気分にさせられた。

 

あの図書館はずっと工事中だ。

「安全第一」の看板に込められた意味は何だろう。

 

答えなんかあるわけないのに、水溜まりを覗いたりしてみる。

 

光る赤い自販機。目の前は、雨のせいで靄がかかっている。

 

初めて歩く街なのに、懐かしい。

 

 

去年はこの時期、何をしていたっけ。

その前は? その前の前は?

 

柄にも無く、写真を見返すことが多くなった。

 

この写真を撮った自分は何を考えていたんだっけ。

この写真を撮られた自分は、この今の自分を見て何を思うんだろう。

 

もう秋なんだ。

 

埋まらない心の隙間を満たそうとする。

 

金木犀の香りをいつまでも肺に閉じ込めておきたい。

 

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ハイブリッドレインボウ

一番仲が良かった同期が鬱になる一歩手前で、昨日退職届けを出してきた。

 

入社して、半年と1日が過ぎた日の午後だった。

 

4月、私に壮大な理想を語ってくれた。

 

月日を重ねるうちに、理想と現実のギャップは乖離を続けた。

 

9月の最初の3連休の次の日だったと思う。

 

「辞めたい」

 

9月はほぼ毎日22時に退社していた。

「今日も定時帰り?」「当たり前やん」

と、笑いながら長時間労働を皮肉った会話を続ける日々。

 

最寄り駅から、敢えて一駅の距離を歩く。

途中で適当に飯を食って、今置かれている絶望的な状況、そして、いつか来ると信じている夢見る未来について語り合う。

 

そんな毎日から突然零れた一言。

 

そこからは早かった。

 

あっけなかった。

 

やりたくないことをやらされ、結果が出ずに上司からは詰められ、苦労は美徳、気味の悪い宗教的な企業文化も相まって、限界が来ていた。そこに、理想と現実とギャップ。

 

彼は精神から体調を崩した。

 

鬱病になる一歩手前だった。

 

朝起きたら、下痢が止まらず出社することができなくなったらしい。

出社しても、社内の空間に耐えられず頭痛を発症。

それでは、仕事もままならず、膨大なタスクと達成不可能な目標に殺され、22時退社。

 

何が「成長」なのだろう。何のための「成長」なのだろう。

 

分からない。

 

しかし、これは彼に限ったわけではない。

 

 

一緒に入社した新卒の同期たちは、少なくとも40人以上は辞めていると聞いた。

 

先月、入ってきた中途入社の方の顔をもう見ることはない。

 

もちろん、既存の社員たちはもっと辞めていく。

 

次は自分かもしれない。迫り来る不安。

そして、また代替品の中途入社者が入ってくる。

 

ここは戦場。我らは兵士。

 

もう、仕方ないのだろう。

 

ハッキリと言って、この業界は終わっている。

 

世の中には必要だと思う。それは綺麗事だ。

 

もう一度言う、ここは戦場。

 

必要なのは、何も感じない「鈍感さ」かもしれない。

 

甘えだと思ってもらって構わない。

もっと厳しい環境に身を置く人はたくさんいるはず。

それが未来に繋がる。身のためになる。それは言い訳。若いうちは苦労をしろ。みんな辛い。仕事は楽しめ。嫌なら辞めればいい。逃げるなよ。頑張れ。

 

 

痛いほど分かっている。

 

 

だけど、もう人間が壊れる瞬間を見たくない。

 

 

 https://music.apple.com/jp/album/%25E3%2583%258F%25E3%2582%25A4%25E3%2583%2596%25E3%2583%25AA%25E3%2583%2583%25E3%2583%2589-%25E3%2583%25AC%25E3%2582%25A4%25E3%2583%25B3%25E3%2583%259C%25E3%2582%25A6/317672224?i=317672496

恐竜

 

幼さが邪魔をする。

 

歩くたびに傷つく。

 

大人になれない、いつまでも子どもだ。

 

どうしたら大人になれますか。

 

大人になりたい訳でもないけど、

子どもで有り続けたい訳でもない。

 

 

「考えすぎだ」「もっと楽に生きたら」「なるようになるよ」

 

聞き飽きたよ、もう。

 

繊細すぎる自分の心を壊してしまいたいことがある。

 

繊細すぎて、想像力が働きすぎて、勝手に傷つく。

 

いつも独りだ。

 

生まれてから、いつも。いつも。いつも。

 

ずっと孤独だし、これからもずっと孤独なんだと思う。

 

でも、生きたい。死にたくない。

 

そんな勇気もない。

 

だから、だからこそ、

 

せめて、自分は自分を愛してあげたい。

 

認めてあげたい。

 

この世にいていいんだよって。

 

弱くてもいいんだよって。

 

 

こんな想いを垂れ流したところで、何も変わらない。